「情報格差」こそが「格差」の原因と考える理由

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情報格差 デジタルデバイド

 

先日「ビートたけしのTVタックル」の特番で

「格差大国&敗北外交 次々と日本に降りかかる危機!ニッポンが抱える大問題SP」

というのをやってました。

といっても、夜8時にお風呂に入り、9時には寝る私としては
前半部分しか見れませんでしたが・・

 

しかし何かにつけ「格差」ってよく言われるようになりましたよね。

 

過去、日本は「一億総中流」を目指して、
「上流」でも「下流」でもない、
「普通」レベルの生活ができると思える人を増やそうとしてました。

 

まあ、時は高度経済成長期。

大量生産も始まりいろんな家電製品が手に入るようになり、
給料も年功序列で右肩上がり、終身雇用制で将来もまあまあ大丈夫そう。

 

「自分って、金持ちではないけど貧しくもないよね?」

と思う人も多かったのでしょう。

 

多分、実際はそうじゃなくて、
金持ち層と低所得者層はハッキリ分かれていたと思います。

 

ただ当時は情報網も少なく、
目に入る情報が「一億総中流」に偏っていたでしょうし、
何となくバブルってて、未来は明るそうって感じで
それなりに満足できたのだろうと思います。

 

さて今はというと・・

 

いろんな制度が増え、生き方の選択肢が増えたがために、
自分はどう考え、何を選び、どう進むかで
それらから生じる結果の差が大きく広がるようになりました。

 

これが「格差」の大本です。

 

例えば、少子化が言われて久しいですが、

子どもの数が減っているから大学も定員割れが増えてきた
そのうち誰でも大学に入れる時代が来る

なんていうことがあります。

 

こういう情報を目にした時に

「誰でも大学入れるの? じゃあ勉強しなくていいじゃん、めっちゃ楽」

と思うか、

「誰でも入れるようになったら単なる大卒資格に価値がなくなる
 ますます、どの大学を選ぶか、更にはどう競争力を付けるかが争点となる」

と思うかで、子どもの行動(親が子供に望む方向)が全く変わりますよね。

 

子供の数が減っているなら
私立学校は経営上、生徒確保のため「青田刈り」をするのも当然。

中学校、小学校と低年齢層から確保し始めるわけで
大学受験が中学受験・小学受験へとスタイルを変化させていくのも自然な流れです。

 

学生を確保できる学校は資金もあるのでいろんな教育環境が準備でき、
また更に学生が集まりやすく受験生も増え、という好循環。

確保できない学校はジリ貧へ。誰でもいいから来て!状態。
無作為な人が増えれば当然、水の流と同じように環境も下方向へ引きずられ・・

 

まあ、今でも既に大学出ただけで価値があるとは言いづらいですけどね。

私の前職では新卒は数名しか採用していませんでしたが、
学歴だけで言えば日本の大学なら最低でも院卒、もしくは諸外国の大卒(帰国子女)ばかりです。
(ちなみに社員の9割以上はキャリア採用なので新卒は毎年ちょびっとでした)

多分社名を言っても誰も知らないような会社ですが、それですらこんな状態。

 

「誰でも大学行けるんでしょ?」でフラフラしていると結果として、
殆ど意味をなさない「大卒資格」だけを手に入れることとなり
当然やるべき努力をしてこなかった人が選べる職種も少なく、生涯収入も減ってしまいます。

得られる収入が少なければ、次の世代、自分の子供にかけられる金額も当然減り、
子どもに与えられる環境もそれなりになる・・

 

もちろん、自ら努力していく子どもなら環境問わず成り上がるでしょうが、
大多数は(我が家を含め)残念ながら平凡なお子だったりします。

 

最近はネットで無料の学習講座の配信をしているサービスもありますが
それで勉強する子はそもそも自ら学べる子たち。

うちの子のように強制的に塾に入れてシブシブやらざるを得ない状況じゃないとやらない子に

「ほら、このサイトで、いつでも好きな時に好きなだけ勉強できるんだよ♪」

といっても、絶対やらないのは目に見えてます^^;

 

となると、やっぱり「学ぶ環境」(「学ばざるを得ない環境」?)が準備できるかどうか、
そういう必要性を感じるかどうかで結果が変わってしまいます。
(私は、子供の教育にはある程度”強制”が必要だと思ってます)

 

そう考えていくと、
あらゆる「格差」は「情報格差」に集約されると思うのです。

 

一般的に「情報格差」というとIT系の話になりますが、
ここで言う情報格差とはいわゆるデジタル・ディバイド(Digital Divide)だけを指さず、
様々な情報の入手、そして得た情報の判断・判別力を指します。

 

自ら積極的に情報を集め、自分なりの解釈をしたか?

得た情報の先を予測して、どう対応すべきか判断したか?

そして未来を手に入れるために、必要な投資をしたか?

 

子どもの教育でいえば、些細な部分から格差が始まると思います。

例えば乳幼児期から絵本の読み聞かせをしたかどうかも1つですよね。

絵本代や、絵本を読む時間を投資して子どもの成長を期待するわけです。

 

まあ、絵本の読み聞かせでどれだけ明確な差が生まれるかどうかは別ですよ?

でもそういう細かい1つ1つが組み合わさって、結果につながっていきます。

 

基本的に成長って投資ありきだし、
何か1つ対応したからといってすぐに答え(結果)が出るものでもありません。

 

子どもの成長への投資ってものすごい期間とお金をかけますよね。

しかもどう戻って来るかは子供次第という、ある意味運任せな部分も大きくて
期待半分で多くを望まずやっていると思います。

 

でも自分への投資は、投資した分、自分がしっかりやればいいだけ。

自分で結果をコントロールできます。

これってものすごく楽な話です。

自分がやりさえすればいいわけですから。

 

今は何かというと無料のサービス等がありますのでそちらに流されそうですが、
その無料のものを利用するか、有料の物を利用すべきかも情報を得て判断すべき部分。

それを「無料だから~」とか「とりあえずこっちの方が格安だから~」ってだけで
単純に選んでいたら、その後の結果にもそれなりの影響を与えます。

 

また「これだけやっておきさえすればいいんでしょ?」なんて、
都合の良いモノもありません。

いろんな知識と技術と実践が組み合わさって、初めて結果が出てきます。

 

そんな感じで、目先の事にとらわれず、
何でも好奇心旺盛にチャレンジしていきたいですよね。

 




  • 2014 03.27
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