「金は払うより貰う方が楽しいって社会の方が健全な気がするんだけどな」

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攻殻機動隊の神山健治 監督 & 3月のライオンの羽海野チカ キャラクターデザイン
となれば見ないわけにはいかない「東のエデン」。

テレビで11話+劇場版2作という、最近多いですね、
テレビ版の後映画で完結というアニメ(苦笑)

私は全部が公開されてから、まとめて見ましたが・・

 

アニメ本筋の内容は見たい方に見て頂くとして、
私が主人公のセリフの中でなるほどなあと思った部分はここ。

Mr.OUTSIDE(亜東 才蔵)が 滝沢 朗 をセレソン
(「この国(日本)を正しき方向へ導く」義務を負った12人の人間)
の1人に選んだきっかけとなったやり取り。

東のエデン セリフ

 

タクシー運転手に化けた亜東が、たまたま見かけた滝沢に、
なぜ今時新聞配達をしているのか? と質問をした際の答え。

 

金貰う練習のため、かな。

人っておもしろいもんで、
金の払い方は5歳のガキでも知ってんのに、
貰い方は大人でも知らなかったりするんだよね。

そりゃ、金使う方が頭下げて貰うより気分いいから
「お客様は神様です!」なんつって、つい消費者最強を振りかざすけど、
これって本来は売る側の気持ちの話でしょ。

だけど、みんなが金を払う側になっちゃったら
一体誰がサービスするんだって話だよね。

オレは金は払うより貰う方が楽しいって社会の方が健全な気がするんだけどな。

 

確かに学校でも「お金の使い方」みたいな授業はあるし、
スーパーで子供に「お菓子は1つだけ!!」と言ったり
「お金を払う」ことは小さいころから意識できます。

なのに何故か「お金を稼いで手に入れる」ことは「悪い事」のようにされていたりします。

 

お金を「払う」と「貰う」はワンセットです。

どちらかが偉くて、どちらかが悪モノなんてことは本来あり得ないはず。

 

最近では「子ども商店街」と言った感じで、
自分でサービスを考えて何かをしたり、何かを売ったりして通貨(その子ども商店街の中で通用する通貨)をやり取りする体験学習も行われたりしています。

1度その様子を見ていましたが、やっぱり遊びなのでどこか現実感がないんですよね。
稼いだ通貨は速攻その場で使い切るし(笑)

「子ども商店街」の中では、適当にやっていれば「お金が貰える」ので、当たり前の結果かもしれません。

適当に貰えるんだから、適当につかっちゃっても問題なし、なわけです。

 

お金は流動していかないと経済が動かないので、それはそれでいいことかもしれません。

 

東のエデンの中でも「相続税100%法案」が国会に提出され、
アガリを決め込んだ「大人」が貯めこんだ金を強制的に出させるようにしたりしてました。

これがいい事なのか、悪い事なのか、客観的な論争は別として、
子供に大金残して一体何の意味があるのかは私には分かりませんので、まあいいんじゃないかな、と思ってます。

 

私自身、大学からは授業料だけ親にお願いして、
あとの一人暮らしにかかる費用は自分でやってきました。
(まあ他にも陰で親に助けてもらっている部分はあると思いますけどね)

自分でお金を稼いで初めて、お金の使い方を知っていくものだと思います。

 

なのに今の社会では「お金の使い方」だけを偏って知るだけ。

どこからお金が入ってくるのかが具体化できない。

会社に勤めて、言われることやっていれば
なんか知らないけど決まった日にお金が貰える、みたいなそんなイメージ。

そうやって、お金の源泉がどこにあるのかなんて考えもしない、
単なる労働者層になってしまうのではないのかと思うのです。

 

そして、そんなひ弱な状態のまま「何となく会社が気に入らない」とかで脱サラして、
これまた適当に「ラーメン屋」とか「パン屋」とか、
下手したら「コンビニ」なんかを開いてしまったら最悪。

「今までは月末になったら自動的に給料が貰えたのに、
 今は月末になったら支払いばっかり・・」

なんて愚痴をこぼしてしまう状況に陥るわけです。

 

「決まった日に給料が貰える」なんて、かごの中の鳥と同じ。

決まったご飯の時間に決まった量のご飯が貰えているだけ。

 

鳥にそのご飯がどこで生産され供給されているのかを考えろというのは酷でしょうが、
私たちは少なからず動物の中で優れた頭脳を持った人間です。

そのお金がどうやって「貰えている」のかを想像して、仕組みを考えていくことの方が
健全な生き方じゃないのかなと思うのです。

 

今回の引用:東のエデン

 




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